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[日本] 建国私説―カタストロフィの生き残りがつくったまほろば

2019-01-31日本

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日本は不思議な国です。遺伝子解析、言語系統、考古学・・・どんなアプローチで迫っても、わかるのは起源がわからないということだけ。ひどい学者はエイリアンではないかとまで言っています(笑)。どうせわからいなら勝手にやってもいいだろうと思い、日本建国のいきさつを妄想してみます。

日本人と三貴子

よくこんな風に感じます。

  • 日本人は近代化を経た後もご先祖様を大事にしている。
  • 土地にこだわりがある。
  • 東西に目に見えない分断線がある。
  • 外を知れば知るほど、言語的にも文化的にも特異性を感じる。

今日は、これらすべての理由を説明可能な建国仮説を書いてみたいと思います。

考察の手がかりは思想

仮説を立てるうえで最も重視したのは歴史から導かれであろう日本民族の思想です。それは神話の中に表現されています。

神話は記録(歴史)ではなく寓意(思想)ですから、記述をいくら実証研究しても真実は見えません。むしろ寓意に託されたこころを読み解く方がはるかに有益で重要だと考えます。なぜなら、思想はモノのように滅びず、親から子へ伝わるからです。

いまの日本人は「健忘症」か「記憶喪失」にかかっているようで、自分たちの「真実」から遠ざかることを目指しているようです(いくら小学生に英語を教えても英語業界が喜ぶだけでしょう)。でも、からだの奥深くにはちゃんと伝わっているものは伝わっているのだと信じています。でなければ、このクソみたいな世界でこれだけの民度は保てません(健忘症が巡り巡って自己喪失に至り、家族の内部に無数の悲劇を生んでいるとも考えられます)。

私見では、日本の秘密を解く鍵は三貴子のコンセプトにあります。ここに日本民族の最も大事に守ってきた「和」の思想のエッセンスが詰め込んであるからです。

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科学的知見から建国のいきさつを推測

結論を急ぐ前に、三貴子という思想が生まれるに至った建国のいきさつを考えてみましょう。

科学は人の移動の痕跡を教えてくれます。最新のゲノム解析から、日本人の組成が大陸の中国人や朝鮮人と大きく異なることが判明し、従来の単純な縄文vs弥生式の二分法が通用しなくなっています。

何でもかんでも半島や中国からの渡来人のおかげにしておけばよかった、左派イデオロギーとしての古代史学は無用の長物になりつつあります。

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考古学や人類学の発掘成果を併せると、日本人の渡来ルートは複数あり、いわゆる縄文人(以下、先住縄文人と呼びます)が最も初期に定住し、その後、縄文時代に縄文弥生人が入植、紀元後にいわゆる渡来系弥生人が帰化したようです。つまり日本人の民族組成は三重になっているのです。

Y染色体のお告げ

父系遺伝を示すY染色体ハプログループはA、B、C・・・と発生順に系統が分かれていくので、大陸に多いO系統より、日本に固有のD1b系統の方が発生的には古いわけです(日本人にはさらに古い日本固有のC1a1とC2aを持つ人も5%程度います)。

D(やC)が多く残っている以上、Oと混血はしていても上書きはされていないことになります。平和裏に共存(同化)が進んだ証拠です。現代日本人の柔和な国民性を見ても頷ける結論でしょう。

鬼界カルデラ

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7300年前、平和な日本列島に壊滅的悲劇が発生しました。鬼界カルデラの破局噴火です。東北まで達した火山灰(アカホヤ)の規模から推定すると、過去10,000年以内に起きた噴火の中でも最大級の激甚災害だったそうです。

鬼界カルデラの大惨事により、九州から近畿にかけての西日本一帯の縄文人は、その多くが一瞬にして死滅したでしょう。生き残った人は這う這うの体でユーラシア大陸へ逃れていったのではないでしょうか?

流れ流れて、中国の殷王朝などを作ったのかもしれません。後にこの人たちは平常状態に復した日本に帰国してきているはずなので、里帰り縄文人です。

科学的事実と神話のすり合わせ

これに記紀神話の記述を照らし合わせると、日本建国の骨組みが浮かび上がってきます。謎を解く鍵、三貴子に注目してみましょう。

三貴子(アマテラス、ツクヨミ、スサノヲ)は、イザナミに黄泉から追い返されたイザナギの禊によって生まれました。

  • 黄泉は母なる神が隠れた死者の国。鬼界カルデラの記憶を投影しているのかもしれません。
  • 禊という行為は、過去のいきさつ(悲劇)を清算してやり直す、新たな建国の願いがこめられているのではないかと思います。
  • アマテラスは皇祖神です。現在も続く為政者の系統。
  • スサノヲは後にオオクニヌシの舅になる国津神系の長です。いわば庶民層の系統。
  • ツクヨミはその間に隠れてほとんど活躍しません。謎多き存在です。

三貴子は新たに建国された日本国を構成する民族の代表なのです。

  • アマテラスは大和に東征して新王朝を打ち建てる天孫族、里帰り縄文人に当たります。
  • スサノヲは東征前の大和を支配していた王朝。神話上は「出雲」が国譲りの舞台ですが、歴史事実上の舞台はあくまで三輪山の麓、巻向あたりの大和です。そこを統治していたのが卑弥呼=台与王朝(血統的には縄文弥生人と先住縄文人のミックス?)です。
  • ツクヨミはこれらの王朝に関わらない、特に東日本側の先住縄文人の代表です(西日本は鬼界噴火でいちど無人化したからです。またツクヨミに関係する聖地と思われる月山は被害の少なかっただろう東北にあります)。

 「過去のいきさつ」とは何か?

なぜこのような三者構成になったかを、もう一度整理してみましょう。

スンダランド水没

日本人に関わるグレートジャーニーを推測してみます。

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  • 先住縄文人はアフリカを出て、スンダランド(オーストラリア沖に氷河期まであった陸地)周辺に定住していた。
  • 気候変動でスンダランドが水没し始めると、海上を北上し、沖縄群島や南九州へ辿り着く。
  • その後、北九州、中国、四国、近畿などに分散していった。
  • 先住縄文人は東南アジアにいるときネアンデルタール人とも混血していたと思われます。縄文人は太古の昔から敵対的が少なく友好的な民族なのでしょう。
  • この先住縄文人は鬼界カルデラ噴火で多くが死滅しましたが、一部は大陸へ逃れた。

無人地帯への入植と卑弥呼の擁立

しばらく無住区になっていた西日本一帯が居住可能な状態に復すると、北方のバイカル湖周辺や満州あたりから、あるいは朝鮮半島から縄文弥生人たちが入植してきます。彼らは航海に長けていたので群れることをしません。バラバラの土地に拠点を設け、日本のよその土地や大陸・半島と交易していたのでしょう。

紀元後2-3世紀になると内輪もめで倭国大乱の事態に陥ります。このままではまずいというので巫覡だった卑弥呼を宗主に担いで大和に連合国家を作り、中国に対峙しようとします(神話の出雲は純然たる別王国だったのか、神話上の創作なのかははっきりわかりません)。

先住縄文人の里帰りと東征の関連

そうこうするうちに、中国大陸から亡命していた先住縄文人の末裔が里帰りし、九州に拠点を築きます。

九州で勢力を拡大すると、大和の卑弥呼王朝(彼らから見れば異民族)から王権を奪還すべく東征へ向かいます(里帰り縄文人から見れば留守を荒らした空き巣のようなものです)。

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最初は追い返されるものの、ヤタガラスなる間者の活躍で熊野方面から大和へ奇襲し、今度は勝利を収めます。

入り婿制度

両者は和議を結び、里帰り縄文人が卑弥呼朝に婿入りする(入り婿)かたちで王朝を奪いとりました。おそらくここに皇室が男系男子の皇位継承にこだわる根本的な理由があります。もし女系相続を認めれば、神武一代で正統性が消え、何のための王位簒奪がわからないからです。

渡来系の流入

渡来系弥生人がやってきたのはこの新王朝成立の前後であり、一部が新王朝に入り込み外戚関係になったのでしょうが、皇統の基幹はあくまで里帰り縄文人だと思います。

このことが気に入らない勢力が戦後の日本には多く棲息(活躍)します。そのような勢力をソ連やGHQが「後方(側面)支援」することで東アジアの反日政策(日本人の精神の弱体化)を延々と進めてきたのです。

東日本平定

この後、新王朝は東日本に長く定着していたエミシやアイヌと呼ばれる先住縄文人縄文弥生人たちと接触を試み、数々の抵抗を受けながらも統一を成し遂げます。新王朝の里帰り縄文人は大陸で混血しているとはいえ、元々は東日本の縄文人たちと同族に近い人々です。両者は決定的な対立には至らず平定に至ったのではないでしょうか。

(とはいえ、戦後の東北や北海道には左翼の唯物史観の影響で反体制思想がはびこり、ことさらにエミシやアイヌの存在を強調することで皇室への反感を露わにしています。少数民族の人々も史実の捏造にだまされているのです。皇室は何某か渡来系弥生人の血が入っていると思いますが、基幹の血統は里帰り縄文人であり、それを守るための男系男子継承なのです。)

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黄泉神話と禊の思想

ざっとこんな感じで日本建国は成し遂げられたのだと思います。

三貴子の前提となる黄泉神話はイザナミが黄泉から二度と戻らないこと、つまり、葦原中国の施政権が母系継承から父系継承に切り替わったことを寓意しているとも解釈できます。

卑弥呼や台与の王朝や、東日本の縄文人社会は母系継承だったかもしれません。でも入り婿が支配者になった以上、二度と祖国を離れたくない彼らが父系継承にこだわるのは当然です。繰り返しになりますが、もし母系継承を許せば、神武天皇一代で皇室(新大和王朝)が途絶えてしまうのです。

「伊勢神宮」の画像検索結果

統合のシンボルと伊勢神宮の構造

三貴子が男系継承への移行後に生まれた意味はここにあります。日本民族は先住、縄文弥生、渡来系を問わず、拝むご先祖様は三貴子の誰かに当たるわけですから、三貴子こそは新生日本(日本統合)のシンボルに相応しい三位一体の神々なのです。

たとえば、伊勢神宮は内宮と外宮に分かれています。内宮が皇祖神アマテラスを祀るのはわかりますが、なぜ外宮に豊受大神を祀っているのでしょう?しかも外宮先拝のしきたりまでつけて。豊受大神が卑弥呼=台与王朝の神だからでしょう。まず国譲りした神に挨拶をしてから、皇祖神様を拝みに行くのが礼儀というわけです。

 

沈黙の文化

記紀編纂を指示した天武天皇のすごさは、最基層の人々を代表するツクヨミに関して沈黙した点です。ツクヨミ部分を詳しくああだこうだとエピソードに書けば、せっかくの統合民族の間に角が立ち、将来に禍根を残しかねません。最古のご先祖様への畏怖と敬意が彼に沈黙を選ばせたのでしょう。何も語らないことで最大限の礼を尽くしているのです。

その後の言挙げしない日本文化の気質、論理やことばより、かたちや形式に美の表現を求める感性。そうした日本人の「和」の精神は、二度と故地を離れまい、無駄な争い事で血を流すまいという強い想いから出た誓いなのだと思います。

 

自然崇拝の意味

自然災害は人間の争いなどあざ笑う破壊力を秘めており、争うくらいなら平和に協力し合うしかないではありませんか。なぜ先祖崇拝がすたれないのか、これで説明がつきます。土地への執着も、二度と故郷を追われたくないからに他なりません。

東日本と西日本の間にくっきり分断が見られるのは、西では一度王朝の交替があり、連続性の強い東とは文化構造が違ってしまったからでしょう。

日本人の特異性は島嶼列島で古い遺伝子系統が温存されたこと、自然災害に対する鋭敏な感覚が森羅万象への感受性を研ぎ澄ましたことに求められるような気がします。

 

災害に育まれた感性

いずれにしても日本人の基本的感性は天変地異の経験から醸成されたものだと思います。西洋のように一部地域を除けば、噴火や地震が少ない土地なら石造りの立派な建造物も結構でしょうが、日本では無意味です。スンダランドの水没級、鬼界カルデラの破局噴火級の災害の教訓が、人間の記憶に深く刻まれないはずがありません。

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一神教を拒むわけ

以上のように考えれば、日本人がキリスト教をはじめとする一神教を受け入れない理由がわかります。アブラハム宗教の大前提は、自然界とは独立して存在し、外から自然(天地)を創造したヤハウェだけを崇拝することです。

ヤハウェは天地の創造主であり、その神に選ばれ人間は神のつくった自然界を神の代理として管理する義務があります。代理なのですから動植物を含めた自然界を客体化して操作し制御することは当たり前の行為です。天災の恐ろしさを知り抜いている日本人が受け入れられるはずがありません。

人智で逆らいようがない自然界の恐さ――、それをいちばんよく知っているのは縄文人たちだからです。

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