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[プログレ] プログレ寄り初期クイーン曲とプログレ・サンプラー

ミュージック, ロック

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映画『ボヘミアンラプソディー』の大ヒットで時の人となったフレディ・マーキュリー。今後も何年に一度かフレディブームが来るんじゃないかと思います。それくらい彼は類稀なエニグマ(enigma)です。

実はクイーン、初期はプログレ(プログレッシブ・ロック)寄りの音楽をやっていました。いまでも2枚目のQueen IIは相当の名作だと思います。クイーンは “We Will Rock You/We Are The Champions” や “Don’t Stop Me Now” だけのバンドじゃないよっていうことを知ってもらいたいので、プログレ紹介とのタイアップ記事にしてみました。

クイーンがデビューした70年代前半はハードロックとプログレのガチンコだった

クイーンのデビューは1973年、まだポスト・ビートルズのロック界は混沌として方向性が見えない時代です。イギリスもアメリカもどんどん不景気になって、60年代の宴の跡という茫漠とした空気が漂い始めていました。そんな中、クイーンは妙に複雑だけど不思議とポップな、でもレコードは売れない変なバンドでした。

「ビートルズが解散したときは人生で初めてホント凹んだよ。それまでのオレは自信過剰で全然いけ好かない奴だった。」(ポール・マッカートニー)

ハードロック vs プログレ

ブリティッシュ・ロック界には、ウッドストック以降のグラムロックやサイケデリック、あるいは黒人のファンクやフリージャズなどの影響を受けたバンドが次々現れてましたが、大きく分ければ、レッドツェッペリンやディープパープルに代表されるハードロック派と、ピンクフロイドやキングクリムゾンに代表されるプログレ派に二分していました。

アイドルバンドとして人気の出たクイーン

クイーンはそのどちらでもあり、どちらでもないユニークなバンドです。そういう変なバンドに、ルックスで飛びついたのが日本女子でした。何を隠そう、ブログ主は男子でもあるにもかかわらず、人生で初めて買ったレコードが『キラークイーン』のシングル盤だったのです。当然、クラスメイトには軟弱だとディスられました。

「queen 1975 japanese fans」の画像検索結果

ご承知のように、フレディを除くメンバーは音楽の道に入らなくても十分出世できるだけのアカデミックなキャリアの持ち主でした。ただフレディだけがアカデミックとは無縁なアートやグラフィックデザインの世界からやってきたのです。

他のメンバーはいわゆる中流家庭の白人なのに対してフレディはアフリカのザンジバル生まれ、インド出身の移民の子です。最初から異質な要素の緊張を内部にはらみ、バンドの予定調和を揺さぶる存在だったのです。

parsi zoroastrian temple in Mumbai
ムンバイにあるゾロアスター教寺院

しかもフレディはゾロアスター教徒でした。ゾロアスター教は古代ペルシャに生まれた元祖一神教のような宗教です。ペルシャ最後の王朝がイスラム教徒に侵略されたとき歴史の闇に葬られようとしましたが、フレディの先祖たちはインド西岸に亡命して生き延びたのです。彼のこの出自を知るだけでも、白人文化のメインストリームに受け入られつつ、分類不能な個性を放つ理由がわかるのではないしょうか?



プログレってどんな音楽?

そもそもプログレって何?と思われている方々も多いかもしれません。

正式にはプログレッシブ・ロック(progressive rock、英語圏での略称はプログレならぬ “prog”)です。個人的見解では、ヨーロッパ人のアメリカ文化に対する「異化作用」(defamiliarization)から生まれた音楽フォーマットじゃないかと思います。

ロックのルーツは黒人のブルースと白人のカントリーミュージックですから、ロックンロールやハードロックの方が「正統派」でした。そこへ1960年代はじめのイギリスにビートルズが現れます。最初はアメリカのロックンロールやR&Bのコピーバンドに過ぎなかったのに、あれよあれよという間に「なんか違うこと」「変なこと」をいろいろやり始めました。

作品志向の音楽へ

1967年にポール・マッカートニーは次のように言っています。

“We got a bit bored with 12 bars all the time, so we tried to get into something else. Then came Dylan, the Who, and the Beach Boys. … We’re all trying to do vaguely the same kind of thing.”

オレらは四六時中12小節のコード進行ってのにチョット飽きてたから、違うことやろうとしてたんだ。そしたらディラン、ザ・フー、ビーチボーイズが現れた・・・ざっくり言えば、みんな同じように「違うこと」を試してたんじゃないかな。

ビートルズの音楽はその制作手法を含め、ポップ・ミュージックの在り方を完全に変えてしまいました。クラシックにおけるベートーヴェンのように、ビートルズ以前と以降は別世界になりました。ビートルズの音楽が奇跡的なのは実験的なのに一曲一曲がコンパクト、しかもポップだという絶妙のバランスにあります。

プログレの場合、どちらかというとビートルズのコンパクトさやポップさを犠牲にして、彼らの実験性、たとえばビートルズが “Sergeant Pepper’s Lonely Hearts Club Band” で切り開いた「コンセプト・アルバムでぐいぐい押す」という手法を色濃く受け継ぎました。

そのため作品志向(アートとしての価値の追求欲)が高まり、トータルなアルバムづくりのためなら、トラッドなフォークソングだろうが、民族音楽だろうが、クラシック音楽だろうが、何でも貪欲に摂取・消化して、新味を出したのです。当時かっこいい音楽の代名詞はジャズでしたから、そのジャズの尖った(hipな)部分や即興性を取り込む試みも行われました。

プログレの特徴

で、結果プログレがどうなったかというと、売れるにして売れないにしても、おおよそ次のような感じになりました。

  • 基本、「踊る」音楽じゃなく「聴く」音楽
  • 長い・・・1曲でレコードの片面ぜんぶ使うなんてざらでした。
  • 複雑・・・変拍子や奇妙なコード進行はデフォルト。録音技術の先鋭化でステージじゃ再現不能なケースも増えました。
  • 歌詞がわけわかんない・・・神話、伝説、ファンタジー、フォークロア、題材は何でもござれで、王道のラヴソングはほぼ皆無です。
  • すごテクのミュージシャンが多い
  • 独自の世界観や美学が売り・・・ファンを選ぶ。
  • 基本的に労働者階級ではなく中流階級がつくる音楽・・・上流階級はそもそもポップに “降りて” こないから当たり前。

 

プログレ・サンプラー

まあ、論より証拠ということで初期クイーンと、他の代表的なプログレ・バンドの、比較的聞きやすい楽曲を取り上げたいと思います。

“The March of The Black Queen” Queen from Queen II(1974)

“Ogre Battle” Queen from Quee II(1974)

※クイーンに関しては姉妹サイトで不思議なフレディの歌詞世界についての記事をアップする予定です。

“I Talk to the Wind” Giles, Giles & Fripp featuring Judy Dyble (1968)

“21st Century Schizoid Man” King Crimson(短縮バージョン、1969)

最初の “I Talk to the Wind” は翌年のキングクリムゾンのデビュー・アルバムでは、2曲目の超有名な “21st Century Schizoid Man”(邦題「21世紀の精神異常者」)の次に収録された曲です。

「ウィンド」から「スキゾ」への変貌は「革命」的変化だと言えます。これがプログレ音楽が爆発的に流行り、しかも、ある時期から急速に勢いを失った鍵でしょう。「革命」はエキサイティングで人を熱狂に引き込みますが、そのエネルギーは持続しないのです。

“God Only Knows” The Beach Boys(1966)

ビートルズをその気にさせコンセプト・アルバム『サージェント・ペパーズ』を生むきっかけとなったのがビーチボーイズのアルバム “Pet Sounds” でした。

“Melancholy Man” The Moody Blues(1970)

フォーク系で日本にもこういう感じのネクラソングやる人たちが多かったような・・・当時の雰囲気が出てるかも。

“Impressioni di Settembre” Premiata Forneria Marconi(1972)

PFMことPremiata Forneria Marconiはイタリア出身のプログレ・バンド。現役。いまでこそプログレは国際色豊かですが、PFMがいなければプログレの歌詞世界は英語一色に塗りつぶされていたでしょう。

“Lily Of The Valley” Queen from Sheer Heart Attack(1974)

“Cosmic Debris” Frank Zappa(1974)

分類不能の巨人フランク・ザッパ。広大な守備範囲の広さは空前絶後。彼の音楽はひとところに留まることを知りませんでした。その存在自体がプログレッシヴな稀有の存在。

“Shine On You Crazy Diamond” Pink Floyd(1975)

“Rajaz” Camel(1999)

キャメルは地味だけと息の長いバンドです。クラシックフレーバーのきいた静か系プログレ。

“Call fron the Dark” Magama(2006)

1960年代後半から、いまも現役を続けるズール(Zeuhl)バンドMagma。すべての曲はリーダーのクリスチャン・ヴァンデ(Christian Vande)が創造した人工言語コバイア語(Kobaian)で歌われます。これ↑は比較的最近の曲で、最も聞きやすい部類。このバンド、嵌まると半端ないです。フォロワーバンドも無数。日本でも高円寺百景が活躍中。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BA%E3%83%BC%E3%83%AB_(%E9%9F%B3%E6%A5%BD)

ついでに彼らのかっこいいライブ動画も貼っておきます。ちなみにヴァンデはドラムを叩いてるおっさん。ジャズ畑出身のドラミングですよね。なんせコルトレーンフリークだから。

“From The Beginning” Emerson, Lake & Palmer(1972)

泣く子も黙る三人組EL&P。70年代日本のプログレ・ファンは、キングクリムゾン(愛称キンクリ、もしくはクリムゾン)、ELP、イエス、ピンクフロイド(愛称フロイド)の四大派閥に分かれてました。ブログ主はキンクリとフロイド好き。他も嫌いじゃないけど。

“Epitaph ” King Crimson ft. Greg Lake on vocal(1969)

キングクリムゾン初代ボーカリストにして、EL&Pのオリジナル・メンバー。2016年に亡くなってしまいました。これはアルバムのインストルメント・トラックを取っ払ったカラオケバージョン。彼の歌の力がよくわかります。

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