[ペルシャ]「世界宗教」の起源は古代イラン?
本サイト「ロゴスとミュトス」のために、ミトラ教について上の2つの記事を書いた。ここでは、その背景情報、補足情報をまとめたものを載せる。備忘録のようなもので完成形ではないのだが、何かの役に立てばうれしい。
目 次
- 1 ミトラの表記について
- 2 インド・イラン古層の宗教思想は世界宗教史の鍵
- 3 アフラ・マズダーとミトラ
- 4 アーリア人の起源
- 5 基層としてのスィームルグ文化
- 6 神智学による原アーリア宗教・ミトラ教の変遷
- 7 イラン系アーリア人の神話と宗教
- 8 ミトラ教の普遍性
ミトラの表記について
ミトラ(mitra)はインドのヴェーダ文献に残る呼び方であり、イラン本国ではミスラ(mithra)と呼ばれた。しかし、当サイトでは慣例に従いミトラの表記で統一する。念頭に置いているのは普遍性をもつ神としてのミトラだ。
それはヴェーダ限定のミトラではない。
- インドとイランが袂を分かつ以前、悠久の昔から崇拝されていた。
- 分裂後は主にイランに残り、後には他地域(メソポタミアなど)の神と習合した。
- アナトリア辺りで秘儀宗教化してミトラス(mithras)になり、ローマを中心にヨーロッパ全土に広まった。
- キリスト教に押され衰退したが、神秘主義に受け継がれ、現在まで命脈を保っている。
インド・イラン古層の宗教思想は世界宗教史の鍵
個人的に、唯一神教の起源が気になっていろいろ勉強している。現時点の仮説では、主な起源は2つあり、ひとつはユダヤ人が長く奴隷としてつながれていたエジプト。特に突然、世界初の一神教アテン崇拝を強引に始めたアクエンアテン王朝と、出エジプト記の預言者モーゼのつながりが気になる。
そしてもうひとつの一神教ルーツは古代インド・イランの宗教。インド側では『リグ・ヴェーダ』が編纂される時代に至高神の観念が生まれたが、これとペルシャのゾロアスター教経由の二経路でユダヤ教へ取り込まれたように、と思う。特にアケメネス朝のキュロス王がバビロン捕囚からユダヤ人を解放し、イスラエルをペルシャ属国にしたのが大きい。
ペルシャ王朝はゾロアスター教を国教にしていたが、帝国内の属国にアフラ・マズダー信仰を強制しなかった。だが、逆に他の宗教にゾロアスター教要素を忍び込ませた可能性は低くない。信教に対する寛容は偽装だったかもしれないからだ。
この記事でインドではなくイラン宗教史を取り上げるのは、「ペルシャ帝国の政治力が多神教だったユダヤ人教の一神教化に決定的な影響を与えた」と考えるためだ。
アフラ・マズダーとミトラ
ゾロアスター教形成のポイントは2つあると思う。
ミトラ信仰の深さ
古代イランは口伝・口承の文化だった。日本に記紀以前の記録が残っていないように、イランには古代ミトラ教に関する文字資料が存在しない。ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』(相当部分はイスラム教徒の破壊と弾圧によって失われた)を読んでもミトラの発祥などについてはわからないという。
教祖ザラスシュトラはアフラ・マズダーを最高神に設定してミトラを格下げした。しかしミトラの人気は衰えず、三相一体の一柱として不死鳥のように蘇った。それだけイラン民族にとって重要な神だったと考えられる。
インドとイランの仲違い
ミトラはヴァルナとともにインドの『リグ・ヴェーダ』に登場するインド・イラン共通時代の神格であり、この点でも注目に値する。後にインドとイランが決裂すると、それ以後、ミトラやヴァルナの属するアスラ神族(イランのアフラ神族に相当)はインドにおいて悪魔化されていく。対照的に、イラン側ではアフラ神族から最高神が誕生し、インドで有力なデーヴァ神族(イランではダエーワ神族)が悪魔化されていく。このインドとイランの決裂はゾロアスター教の善悪二元論に深い影響を与えたと思われる。
西アジア史の軽視とアケメネス朝の宗教政策の重要性
日本の歴史学界が縦割り根性(東洋史、西洋史、日本史の棲み分け)のせいでイラン古代史に関する研究を怠ってきた。仏教発祥の地であるインドに関する研究は盛ん。
しかし、もっと奥深い理由があって、欧米人ならびにユダヤ人が “真実” を認めたくないからではないか?
こういうことだ。
BC6世紀、アケメネス朝ペルシャ帝国を打ち建てたキュロス大王は、バビロンに捕囚されていたユダヤ人を解放しエルサレムへの帰還を許した。アケメネス朝はイスラエルに限らず征服した諸国にアフラ・マズダーそのものの信仰を強要しなかった。押しつけようにもゾロアスター教がまだ未整備で完成されていない宗教だったろうが、それ以上に、諸民族の在来神を捨てさせれば反発を買い、謀反を起こされやすくなる。しかも余計な軍事介入や統治費用がかかる。
そこでアケメネス朝は名を捨てて実を取った。各国に在来神の名の下にアフラ・マズダーを祀ることを求めたのだ。この宗教政策の結果、多神教だったユダヤ教はヤハウェを唯一神とする一神教に生まれ変わったのではないか?
旧約聖書にキュロスはじめ多くのペルシャ人が英雄的、友好的に描かれているだけではない。ユダヤ教の重要な要素、たとえば終末思想、最後の審判、悪魔と天使などはいずれもゾロアスター教起源の要素である。影響関係というより政治的圧力(ペルシャの指導)が宗教に反映したと見る方が自然だろう。
現代イスラエルはなぜ、アメリカと組んで本来恩人であるはずのイランを敵視しているのか?2500年にわたる怨恨が絡んでいないとは言い切れない。
アーリア人の起源
イランの宗教史に入る前に、そもそもイラン人を含むいわゆるアーリア人の起源から、その移動の歴史を簡単に確認したい。大きく3つの大きな移動の波があったといわれる。
第一波:BC10000~BC2000年頃
最初の大移動はBC10000年頃から約8000年にわたって続き、下図のように6系統に分かれた。ヨーロッパのいわゆる白人種の起源はアジアにあるということだ(これまた「不都合な真実」なのだろうか?)。このうちイランに定着したのは5番の系統の人々である。
第二波(BC1700~BC1300年頃)
バルト地方など北東ヨーロッパからカスピ海、コーカサス地方へ進出。ヒッタイト、ミタンニなどの古代王国をつくった。
第三波(BC850~BC650年頃)
中央アジアから移動してきたアーリア人が3つの王国の基礎をつくった。
- BC850年頃、メディア人・・・中央アジアから北西イランへ進出。
- BC750年頃、ペルシャ人・・・中央アジアから南イランへ進出。
- BC650年頃、パルティア人・・・中央アジアから北東イランへ進出。
基層としてのスィームルグ文化
ここからはミトラの専門家・東條真人氏がWeb上に公開している情報に依拠しながら説明を進める。参照元は以下のPDFファイルである。
東條氏によれば、スィームルグ(Simurgh、シームルグとも)こそ汎アジア的とも呼べる深度と広がりを持つ一大文化で、ミトラもスィームルグが生み育てた神様だそうだ。
一般にスィームルグはイラン神話に登場する空想上の神秘的な鳥とされている。ところが東條説では、スィームルグは根元神ディヴ(Div)の別名だという。
以下、イランの原宗教を知る上で重要な手がかりを列挙しよう。
- 大女神ディヴは、スィームルグ文化の根元神にして種子、つまり秘められた一なるい
のち・力・智慧である。大女神ディヴは、いわゆる創造者でも命令者でもないが、あらゆる存在の根元であるという意味で、まさに天真、無極、一者である。 - 別名をスィームルグ(Simorgh)、ダエーナー(Daênâ)。
- ディヴは、ギリシア語で神を意味する言葉「テオス」Θευς、ラテン語で神を意味する言葉「デウス」Deus と同根である。
- ダエーナーからローマの女神ディアナ(ダイアナ)が生まれる。
- ミトラ教では、大女神ディヴを母ズルワーン、ソフィア、無極聖母と呼んでいる。
- ディヴ(スィームルグ)には六つの顔(面)がある。この六面のことを原アムシャスプン
タと言う。原アムシャスプンタは、友愛神ミトラ、生命神ヴァルナ(アパム・ナパート)、活力神アーリマン、火神アータル、日輪神フワル、平和の女神ラームである。 - 原アムシャスプンタの役割は、宇宙的な秩序とリズムをつくりだして、いのちの循環が円滑に進むように見守ることである。
- 原アムシャスプンタは、インドのアーディティヤ神群に相当する。アーディティヤはアディティの息子たちの意味。アディティはイランのズルワーンに相当する。
- 原アムシャスプンタは、ミタンニ碑文に記されているミトラ七神に相当する。
- 原アムシャスプンタの構成は、時期・場所により多少変わる。
- ミトラは友愛神である。原アムシャスプンタの筆頭に位置するミトラは、スィームルグそ
のものである。スィームルグは女性面で養育を象徴し、ミトラは男性面で友愛と調和を象徴する。 - その後次第にミトラの地位は向上し、ミタンニ時代になるとついにミトラ単一神教が成立した。
スィームルグ文化の世界観
- 万物一体・・・本来のイラン文化は、イスラーム、キリスト教、ユダヤ教が説く天地創造を信じていない。一なる生命潮流の流れ、すなわち進化を信じている。
- 万人は神とつながっている・・・あらゆる人は神とつながっており、神と直接対話をしている。社会というものは、ともに生きるための方法を見出そうという対話の結果である。一人の指導者、一つの宗教、一つの聖書をみなが信じれば統一性が生まれるわけではない。
- 神はぶどうの房・・・神を顕現させるのは、ぶどうの実である個人ではなく、人類というぶどうの房である。スィームルグ哲学によれば、民主主義は統治形態ではない。それは意識状態をさす言葉なのだ。
- 神観の進化、楽園の実現・・・イラン本来の考え方によれば、神とは「神はこういうものである」と固定的かつ断定的に表現されるものではない。神の観念は人類の成長とともに成長し、時代とともに移ろるのが当たり前である。
- 自治・自決・・・人間はハラドを持っているので、自治と自決が可能である。ハラドは、脳だけではなく、全身全霊を傾けておこなう意思決定であり、最終決断を下す前に可能な限りあらゆることを調べておこなう。
- 正義と平等・・・人間はみな神とつながっており、神の前に平等である。それゆえ、人間が人間を差別することは許されず、つねに正義と平等を保たなければならない。
神智学による原アーリア宗教・ミトラ教の変遷
近代西洋が理性崇拝の行き過ぎで精神的危機に直面した19世紀後半から20世紀前半にかけて、西洋文明のルーツ探しが盛んになった。セム語族由来のキリスト教の創造神ではなく、インド・ヨーロッパ語族本来の根元神を探す試みであった。
この時代一世を風靡し、現代のスピリチュアリズムやネオペイガニズムのさきがけとなったのが、ロシア貴族出身のヘレナ・ブラヴァツキー(Helena Blavatsky)の主導した神智学(theosophy)運動である。
彼女の主著とされる『シークレット・ドクトリン』(”The Secret Doctrine”)をもとに、東條真人氏がミトラ教通史をまとめてくれちえるので概観してみよう。
諸文化の源流は原インド=イランにあり
東條氏によれば、神智学は新しい思想を打ち建てる運動ではなく「アーリア宗教伝播論」である。「アーリア宗教伝播論」とは、東西の主要宗教・神秘思想はすべてインド・イラン人の原宗教に起源をもつという考え方である。東條氏のまとめたブラヴァツキーの見立ては以下のようなものだ(これ以降の引用は、すべて↓のページの情報。太字強調、改行調整などはブログ主による)。
ブラヴァツキーは、あらゆる秘密結社や宗教を結びつける「秘密の教義」があると考え、ヒンドゥー教、バラモン教、仏教、ミトラ教、ゾロアスター教、カルデアのカバラ、エジプトの宗教、古代グノーシス派、マンダ教、キリスト教といったさまざまな宗教の歴史と思想を独自に研究し、これらの相互関係や共通点を整理した。
その結果、すべての文化と秘教の源流が古代インド(正確には原インド=イラン)であるとの結論にたどり着いた。
(1)エジプトで発見された『ヘルメス文書』に記されているのと同じ思想が、それよりも500年から1000年以上前に古代インドにおいてバラモン教や仏教により説かれている。
(2)さらにまた、イランとカルデアの宗教史を調べると、イランの宗教(ミトラ教とマズダー教)も古代インドを源流としていることが分かる。そして、カバラ、グノーシス主義、キリスト教がイランの宗教の派生物に過ぎないことも分かる。
(3)カバラは『ヘルメス文書』あたりを源流とし、生命の木における至高の三角形はヒンドゥー教のトリムールティ(三神一体)から取り入れた。
諸宗教の淵源バクトリア
ブラヴァツキーのいうインドとはいまのインドと異なる。イランやアフガニスタンの一部を含む広大な文化圏を指す。
現在のインド北部からバクトリア(パキスタン・アフガニスタン)にかけての地域をさしている。ここは、インダス川の流域で、古代インダス文明、マウリヤ朝、クシャーナ朝、サカ朝の栄えた土地である。インド=スキタイ人が定住した地にして、弥勒信仰の発祥地であることも、しっかりと覚えておかねばならない。地理的にはパキスタン・アフガニスタンが重要な地域であり、重心が現在のインド国よりも北西よりである・・・
「アーリア宗教伝播論」に従えば、バクトリアこそ東西諸宗教の一大発信源である。言葉を変えれば、ここが東西宗教の裂け目となって2000年来、人類の意識を分断することになった。
バクトリアはペルシャ人の強力ライバルだったスキタイ族が治めていた土地であり、ペルシャ帝国の東の要衝だった。後にアレクサンダー大王もここまで遠征してきている。
またバクトリア周辺は原始仏教が大乗仏教化した地でもあるから、日本の宗教史にとっても重要な意味を持つ。後述するが、ミトラはこの周辺で弥勒信仰と習合し、東へ東へと移動した後、海を渡って日本に入った形跡があるのだ。
イラン系アーリア人の神話と宗教
スィームルグ時代からの古い神であるもかかわらず、ミトラの全貌が掴みにくいのは、マズダ―信仰、ゾロアスター教との関係性がわかりにくいためだ。
マズダ―教とミトラ単一神教
イラン人とは、パルティア人、ペルシア人、スキタイ人、メディア人、タジク人、ヒッタイト人、ミタンニ人、カッシート人など別々の時代に各地方に定住した諸民族の総称。イラン人はもともとインド人とルーツをともにするが、古代のある時期決定的に対立し分離した。
- イラン人の中で、アフラ・マズダー一柱にこだわって周辺のセム系民族との混血(神々の習合)を拒んだグループがマズダ―教を形成した。
- ミトラやアナーヒターなど伝統な祭祀を重んじるマギ階級は、三相一体の祭祀(東條氏の用語ではミトラ単一神教)を採用し、マズダ―教から分離した。
- マズダ―教徒は外部からはゾロアスター教徒と見なされた。彼らの書いたオリジナル文書はイスラム教徒がペルシャを侵略した際、焚書されたり散逸したりで多くは失われた。
唯一神教(monotheism)と単一神教(henotheism)の違い
- 一神教は一柱の創造神のみを信仰する宗教で、他の神々の共存を許さない。ユダヤ・キリスト・イスラムのアブラハム宗教が代表的存在。
- 単一神教は他の神々の存在も認めつつ、その中の一柱をとくに最高神(主神)として信仰する宗教で、バラモン教やヒンドゥー教が代表格。アブラハム宗教のような排他性・戦闘性は見られない。
- 日本の神道は一般にアニミズム(animism)とか多神教(polytheism)とか呼ばれているが、伝統的にはそうであったものの、次第に(とくに国教化を進めた明治以降は)天照大神を主神とする単一神教に変貌した、と考える方が実態に即しているかもしれない。
アーリアの原宗教―根元神と原初の七者
では「アーリアの原宗教」とは何なのか?
「アーリアの原宗教」における根元神のイラン名はズルワーンで、インド名は無限の大女神アディティである。そして、これに対応するセム系宗教の神格はカバラのアイン・ソフ(無限の意)である。
ディブの別名ズルワーン(zurvan)は、後にササン朝ペルシャが国教を再整備したとき、アフラ・マズダーを生んだ創造神に位置づけられた「無限時間の神」。インドのアディティ(aditi)も、ユダヤ教のアイン・ソフ(ain sof)と同じく、中性的で抽象的な神格である。
この根源神から原初の七者が生じて世界を創造し運営する。
原初の七者は、根元神から生まれた神々である。イラン側にはミトラ神群としてミタンニ条約の碑文に登場し、インド側にはアーディティヤ神群として『リグ・ヴェーダ』に登場する。これに対応するセム系宗教の神団は、エロヒム(六柱のエル神)とヤーウェである。
根元神が目覚めると、根元神の中から原初の七者が飛び出してくる。彼らは、この宇宙をつくり、交代で宇宙の成長を監督する。
「セム系宗教の神団」!?さりげなく重大なことが書かれている。ユダヤ教は発生当初多神教であったというのである。この辺りについてはゾロアスター教との関係が絡んでくるので、別に記事を書く予定にしている。
ミタンニ条約の碑文
ミタンニ条約の碑文はさきほど紹介したミトラが筆頭で呼びかけられる条約文のこと。BC14世紀半ば、ミタンニ王国が隣接するヒッタイトと交わした条約を粘土板に刻んだもので、ミトラ、ヴァルナ、インドラ、ナーサティア双神に誓う形式をとっている。
ミトラ単一神教
「アーリアの原宗教」の中核に位置したのがミトラ単一神教である。
イラン高原に入ったグループの中でも、ミタンニ人とメディア人は早くから西方に進出したため、メソポタミア平原以西の高度な文明――バビロニア、ヒッタイト、アッシリア――に触れ、これらの宗教から多くのことを学び吸収した。
アスラ族(アフラ神群)とデーヴァ族(ダエーワ神群)
アーリア(インド・イラン)の原宗教は、アフラ神群(ミトラ、ヴァルナ、アリヤマン)とダエーワ神群(インドラ、ナーサティア双神など)を中核とする多神教であり、ゾロアスターが登場した頃(前十二から九世紀頃)には、すでにミトラ一神教化が始まっていた。
ミトラ神群はアフラ神群(インドではアスラ)になり、アーディティヤ神群はダエーワ神群(インドではデーヴァ)に変化していったわけだが、この頃にはインドとイランは内部分裂してすでに別々の国家を形成していた。この分裂は両神群の対立抗争として神話化されている。
インドでは次第にデーヴァ(ダエーワ)への信仰が強まり、アスラ(アフラ)は悪魔化していく。イランでは逆に、アフラが善なる神族で、ダエーワは悪の化身になる。
このインド・イランの分裂は重要なテーマなので、次回詳しく紹介したい。
出典:https://ameblo.jp/damedamewanko/entry-11779517423.html
ミタンニとメディア(スィームルグ文化期、BC1700-BC550年)
(この時代)のミトラ教は、大女神ディヴのもとに七名の子神(原初の七者)がいて、この七神の筆頭にミトラがいるというものであった。この構造は、古代インドのアーディティヤ神群とほぼ同じである。アーディティヤ神群もまた、無限を意味する大女神アーディディの子神たちであり、ミトラ、ヴァルナ、アリヤマン、インドラらを含んでいる。(中略)
ミタンニ・メディア人は、メソポタミア平原から伸張してくる宗教を受容・習合する傾向が顕著であったから、ミタンニ・メディアのミトラ教には、セム系の神もいたし、習合も起きていた。これらの事実、および後の展開は、アーリアの宗教がきわめて寛容かつ柔軟で、他の宗教に対し友好的であることを示している。
スィームルグ文化期とは?
繰り返しになるが、スィームルグはアーリア人(原インド・イラン人)の基層文化である。東條氏のスィームルグ文化に関するPDF資料から引用する。
http://www.shamogoloparvaneh.com/Neo-Paganism.pdf
現代イランの学者たちは、太古からこの時代(※ミタンニ=メディア時代のこと)までをスィームルグ文化の時代と呼んでいる。
このスィームルグ文化が咲かせた大輪の花、それが原始ミトラ教(ミトラ単一神教)である。原始ミトラ教におけるミトラは、偉大なる母神ディヴ(霊鳥スィームルグ)の子であった。
ミトラには、ヴァルナ(アパム・ナパート)、アリヤマン、インドラ、ナーサティア双神という兄弟がいた。彼らは、原アムシャスプンタと呼ばれ、ディヴ(スィームルグ)の六つの顔(面)であった。このほかに、女神ラーム、女神アナーヒター、ティール、風神ワユといった神々がおり、これら全体がヤザタ神族を形成していた。
彼らは、自然の秩序を維持するとともに、大女神ディヴから雨粒となって大地に降り立った生き物たちを保護育成する役割を担っていた。ミトラは昼、ヴァルナは夜を司り、ともにアフラ(主)と呼ばれていたが、イラン系民族と先住アジア系民族の混住・混血が進む中で、ミトラの地位が突出し、ついにミトラは神々の長(主神)になった。
メディア帝国のサハック王は、各地にミトラ神殿を建てるとともに、イラン各地にマギを派遣し、ミトラ崇拝を定着させた。現代イランの中学・高校の歴史教科書には、この時代に現代イラン文化の基礎が築かれたと記されている。
ミタンニ王国
写真のミタンニ碑文は『リグ・ヴェーダ』に登場する神々ミトラ、ヴァルナ、インドラ、ナーサティア双神に誓う形式で書かれている。
ここで指摘しておきたいのは、この碑文にはアスラ(アフラ)とデーヴァ(ダエーワ)が混在している点だ。このBC14世紀の時点でアスラとデーヴァは共存しており、インド・イランはまだ分裂していなかった証拠である。
同時にミタンニの支配層はアーリア人であったことを示す。ミタンニの被支配層はフルリ人(Hurrian)と呼ばれる人たちであり、インド・ヨーロッパ語とは異なる膠着語を話していたという。
メディア王国
メディア王国の詳細は謎に包まれているが、新バビロニア国と結んでアッシリア帝国を滅ぼした功績は大きく、アケメネス朝ペルシャへの橋渡しをした。
イラン人とヘブライ人の接触
宗教史という意味では、メディアが、アッシリアの侵略を受けて北イスラエル王国を追われたヘブライ人(ユダヤ人)の捕囚先(強制移住先)であった事実も無視できない。この国で宗教思想の交流があったことはほぼ疑いないだろう(いまでもイランには大きなユダヤ人コミュニティが残っている)。
ちなみに、後に「失われた10支族」と呼ばれるこのヘブライ人たちは、いわゆるユダヤ一神教徒ではない。この時代まだユダヤ教は一神教化の途上にあり、彼らは伝来の多神教信仰にこだわっていた(一神教を好んだ2支族は南ユダ王国としてアッシリアに服属し、この時代にはまだ健在だった。南ユダ王国は新バビロニアによる侵略で滅ぼされた)。
サトラップ制とマギの故地
アケメネス朝が地王統治として導入したサトラップ制度の原型はメディ王国でつくられた。また、イランを代表する聖職者であるマギはこのメディア王国を構成した部族の名前である。以下、wikipediaから引用。
マゴイ族(マギ族) (Magi)
この部族は祭司階級であったと考えられ、血統によって地位を継承していた。当時はまだゾロアスター教は一般化していなかったが、彼らはインド・イラン系の神々を祀っていたと考えられる。この部族の名は、後のアケメネス朝ペルシア時代に祭司を意味する語(マグ)として残存しており、メディア人の宗教観が長くイラン高原に残ったことを示唆する。
アケメネス朝ペルシャ(BC559~331年)
アケメネス朝が西アジア全土を統一した後も、原始アーリアの宗教はイラン高原や中央アジアに強い勢力を保っていた。ミトラはアーリアを代表する伝統的な神だったので、原始アーリアの宗教文化を土台としたミトラ崇拝というかたちで強い勢力を保った。ミトラ教は、主神ミトラの個性(性格)――友愛、正義、太陽――がきわめてはっきりとしていたので、ミトラの個性が教義そのものであった。
このような特徴を持つミトラ教は、アケメネス朝では折衷体制の一翼を担った。アケメネス朝の宗教は、ミトラ派、マズダー派、女神派などを王朝主導でたばねたものであり、アフラ=マズダー、ミトラ、女神アナーヒターを至高三神とするものだったからである。
この折衷宗教を三アフラ―教(三柱のアフラを祀るため)と呼ぶこともある。対外的にはゾロアスター教だが、王室自身はミトラ派でミトラを主に崇拝していたという。三神一体で拝む形式(トリムルティ)は同じアーリア人のインドがつくったバラモン教やヒンドゥー教と共通している。
アレクサンダー大王(BC356~323年)のペルシャ征服とヘレニズム王朝(セレウコス朝シリアとパルティア)
アレクサンダー大王の東方遠征により、アケメネス朝が倒れると、西アジアにはヘレニズム王朝(セレウコス朝シリアとパルティア)が興った。ヘレニズム王朝では、他民族の宗教に対して融和的・習合的な性質を持つミトラ教が支配的な宗教(国教)になった。(中略)
西方ミトラ教の誕生
この西方ミトラ教が、現在ミトラ教といえば誰もが思い浮かべるミトラス教(Mithraism)の原型である。
パルティア時代250 B. C.-226 A. D.には、ミトラ教の一部が極端なまでにヘレニズム化し、西方ミトラ教になった(前二世紀頃)。西方ミトラ教がミタンニ・メディアのミトラ教の血統にあることを示すのが、七曜神の存在である。これは原初の七者のヘレニズム版である。ヘレニズム化が著しいため、七曜神はすべてギリシア・ローマの神々であり、バビロニア占星術と深く結びついている。このような極端なギリシア・ローマ化のおかげで、西方ミトラ教はローマ帝国全域に広まり、キリスト教が四世紀に国教化されるまでの間、ローマ帝国の国教的地位にあった2nd B. C.-392 A. D.。
東方ミトラ教(マニ教)の誕生
メソポタミアの宗教を受容・習合するという民族的な性質は、三世紀のバビロニアにおいて、今度は東方ミトラ教(マニ教)を生んだ。東方ミトラ教の経典は、ミトラによる天地創造の神話や闇(物質)の中にちらばってしまった光のかけらを救うために、ミトラがいかなる活動を始めたかを詳細に記しており、そこには占星術的な宇宙観や理論も記されている。東方ミトラ教はグノーシス的な要素やセム的な要素が強いので、イラン系の宗教ではないとする見方もあるが、イラン的な要素抜きでは成立しないほど、その神話や神観・聖者観はイラン的である。実際、原初の七者は、ミトラとその六名の従天使というかたちで、救済神群の中心に位置している。
ヘレニズムが生んだ秘儀宗教・神秘主義・秘教伝統
この時代に興隆した秘儀宗教には以下のようなものがある。いずれもペルシャ、メソポタミア、小アジア、シリア、ギリシャ、エジプト(アレクサンドリア)の相互影響の産物ではないかと思う。
- エジプト系:イシス=オシリス秘儀、セラピス秘儀
- ギリシャ系:エレウシス秘儀、オルペウス秘儀
- バルカン半島系:ディオニュソス秘儀
- 小アジア系:アッティス=キュベレー秘儀
- ペルシャ系:ミトラス秘儀(西方ミトラ教から発展)
- ヘブライ系:マンダ教
神秘主義・秘教伝統としてはとくに次の4つの思想運動が重要だ。
- ネオプラトニズム(Neoplatonism)
- グノーシス主義(Gnosticism)
- ヘルメス主義(Hermeticism)
- ユダヤ教カバラ思想(Kabbala)
どれも単独で成立した運動ではない。この時代は相互作用を無視して考えることができない。
キリストなるミトラ
西方ミトラ教と東方ミトラ教(マニ教)の時代に、「キリストなるミトラ」が成立した。これを裏付ける経典には、『ペルシアの女神アフロディテの物語』や『ケファライア』がある。キリスト教の神学者オリゲネスやアウグスティヌスの著作の中にも、キリストなるミトラを裏付ける記述がある。
ミトラ教のイスラーム化
イラン民族の中には、メソポタミア平原から伸張してくる宗教を受容・習合する傾向と排他的な傾向の二つがあった。
前者を代表するのが、ミタンニ・メディアの宗教、西方ミトラ教、東方ミトラ教(マニ教)、マズダク教、東方シリア教会などである。
後者を代表するのがゾロアスター教(マズダー教)で、ゾロアスター教はササン朝の政治権力と結託してこれを強力に遮断した。しかし、ササン朝が崩壊するとゾロアスター教も消滅し、その結果、前者の傾向が再び前面に出てきて、メソポタミア平原の宗教、すなわちイスラームの受容・習合が始まった。
シーア派の誕生
イスラームの預言者ムハンマド(マホメット)の娘婿のアリーが661年にイラク平原のナジャフで暗殺されたことをきっかけに、イラク平原一帯で、アリーの子孫だけがムハンマドの正統な後継者(イマーム)であるとする運動が起きた。しかし、アリーの子孫は直系・傍系をあわせて多数存在したので、メソポタミアではさまざまな宗教集団が自分に都合のよいアリー家の子孫をたててシーア派の名のもとに伝教をおこなった。これが、グラート(過激シーア派)であり、シーア派の始まりである。
グラートが過激と言われるのは、イスラームと非イスラーム系宗教を過激なまでに融合・習合させたことによる。このような流れの中に、今日のクルドのヤズダン教(孔雀派、アフレハック派、アレウィー派)がいる。ヤズダン教は、ミトラ教とイスラームの融合である。
こんにちイランの国教になっている十二イマーム派は比較的遅く成立した宗派で、グラートよりも穏健であるが、やはりアーリア的な習合を特徴とする。このようなことがはっきりしてきたため、二〇世紀初頭に唱えられていた「ゾロアスター教がシーア派イスラームに継承された」との学説は現在では通用しない。
ヤズダン教がミトラ教の血統であることは、信仰の中核に七大天使が位置していることにより明瞭に示されている。実際、孔雀派の長老たちも、そのように明言している。孔雀派の七大天使は、七曜と対応している。これは、西方ミトラ教の七曜神の特徴そのものである。聖詩や経典の伝える天地創造の神話も、古代のミトラ神話そのものである。
東への流れ:弥勒信仰の成立
前2世紀から後2世紀にかけて、インド北部からイラン東部にかけての地域(サカ)で、原始仏教はパルティア・バクトリアのミトラ教とインド=スキタイ人の文化(スィームルグ文化)の強い影響を受けた。インド=スキタイ人、パルティア人、バクトリア人はみな、クシャスラパティと呼ばれるミトラの代理人を領主としていたからである。
この時代のサカにはマガ・バラモン(マギ=バラモン)と呼ばれる者たちがいた。彼らは、シャカ族から現れ、ミトラの子孫を名乗り、太陽崇拝をした、有力なミトラ派集団で、ゾロアスター伝説を取り入れつつ、インド西北部に流入した。アイ・ハヌムのミトラ=ゼウスの巨大神像やバーミヤン遺跡はいずれも、このサカの地にあり、ミトラ教の影響の大きさを物語っている。
弥勒の起源
ミトラの愛称ミトラカMiθrakaは、中期ペルシア語ミフラクMihrakとして北伝仏教に入って、弥勒Mi-l’əkになった。(後略)
中国の弥勒教
ミトラ教は、遅くとも漢代202 B. C.-220 A. D.には東アジア一帯に広がった。中国に伝来したミトラ教は、仏教の弥勒信仰や道教と融合して行き、元の時代1264-1368には、弥勒(ミトラ)と三陽の教義を中心にした弥勒教に発展した。1430年ころに、時輪タントラと全真教(道教の最大宗派)の母子合一の瞑想法を取り入れた結果、無極聖母(無生老母)とその子弥勒仏が二大看板になった。弥勒教は、「五教帰一」(儒教・仏教・道教・耶蘇教・回教)を説くが、これもミトラ教の諸教円融的な伝統の反映である。
朝鮮半島の花郎
花郎〔ファラン〕の弥勒は、中央アジアのミトラ教(ソグド的ゾロアスター教)の影響の強い弥勒=ミトラであったとする説がある。さらにまた、花郎の弥勒には、シベリアの草原ルートを通って渡来した西方ミトラ教徒の一団が関係するとの説もある。花郎の弥勒は当初牧歌的だったが途中から軍事的な色彩が強まった。この変化は前者の上に後者が重なった結果ではないかと思われる。
日本への伝来
中央アジアには、ソグド的ゾロアスター教とも言うべきものが広がっていた。これは、古代アーリアの宗教で、その一分派としてゾロアスター教が受容されていたものと考える方が実態に合っている。日本に来たのは、このゾグド的ゾロアスター教である可能性が高い。
聖徳太子と蘇我氏の弥勒は、中央アジアのミトラ教(ソグド的ゾロアスター教)の影響の強い弥勒=ミトラであったのか、それとも朝鮮半島の弥勒と同じく、これに西方ミトラ教が重なったものなのか、今後の研究を待ちたい。
近代・現代のミトラ教
ミトラ教を復興しようという運動は、1900年頃から始まった。ナバルズの調査によれば、それは米国フリーメイスンのロッジの一つ「メフル・ロッジ」Mehr Logdeに始まる。このロッジについては、米国第二十代大統領でフリーメイスンの会員であるジェイムズ A. ガーフィールドの文書にも言及がある。この直後から、神智学協会やフリーメイスンの会員である、G. R. S. ミード、ケネス・ガスリー、ジョセフ・イシャといった著述家がミトラ教の秘儀やイェジディー派に関する著作を発表し、ミトラ教の復興を唱えるようになった。
この流れは、現在さらに拡大し、英国在住のミトラ教復興運動の推進者パヤム・ナバルズ(イラン人)、クルド人の研究者たち、イェジディー派の人々、イランのスィームルグ運動の指導者たち、筆者らに受け継がれている。運動の輪は、英国、イタリア、フランス、スペイン、ドイツ、日本、米国に広がっており、イタリアにはすでに複数のミトレーアムが再建されている。
<記事引用終わり>
ミトラ教の普遍性
以上、長々とイランの宗教史を辿ってきたが、これが大筋で真実なのであれば、ミトラ教はゾロアスター教と並び、アブラハム宗教に先立つ「世界宗教」であった可能性が高いのである。
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