[アルメニア] 文明の交差路・古きキリスト教国家
外務省基礎データによると、アルメニアの人口は300万ほど、その1/3は首都エレバン(Yerevan)に居住する。日本の1/13ほどの広さしかない小さな国だ。国土が狭いのは奪われた土地が大きいからだ。古代アルメニア帝国の時代はトルコのキルキア地方やシリアなど東地中海まで版図を広げたこともある。
アルメニアって?
- 主な産業は農業、宝石加工(ダイヤモンド)、IT。
- 世界最古のワイン生産地のひとつでもある(お隣のジョージアと古さを競っている)。
- ノアの洪水で有名なアララト山は現在トルコ領だが、本来はアルメニア人のこころのふるさと。彼らにとっての富士山だ。
- 地政学的に古代の二大国ペルシャとギリシャにはさまれ、後にはローマ帝国と付き合わざるを得ず、さらには隣国トルコと仲が悪い(20世紀前半、オスマン帝国によるジェノサイドで100万人をこえるアルメニア人が殺されたとされている)。これで落ち着けという方が無理だ。ネイティブのアルメニア人はたびたび故郷を追われ、ディアスポラとなって世界各地に離散した。ディアスポラのネットワークが彼らの交易能力を培い、その上生きるための口八丁手八丁を発達させ、世界的な商売上手として有名だ。要するにユダヤ人に似ているのだ。
- 本国の人口より他国(欧米、ロシア、イスラエルなど)に定住しているアルメニア人の方が多い。エルサレムとニューヨークには大きなアルメニア人コミュニティがある。
- こうした文化混淆の起きやすい精神環境が生んだ有名人に20世紀最大の神秘思想家とも言われるグルジェフがいる。
アルメニア共和国(The Republic of Armenia)
初めてのキリスト教国家
公用語はアルメニア語、宗教はキリスト教(東方諸教会系のアルメニア教会)。特筆すべきは国家としても民族としても世界で初めて公式にキリスト教を受容した国であること(AD301年)。ブログ主がいろいろ写真を見た限りでも、アルメニアは腐るほど古い古い、しかも見慣れない建築様式の教会が散在している。しかも何もないような片田舎に、ドデンという感じで無造作に。
世界でも最古の部類に入る古い文化を秘めたアルメニア。そもそもはノアの箱舟の舞台として有名なアララト山のふもとに開かれた国だが、肝心のアララト山は現在トルコ領だという。コーカサス山脈の高地に開かれた天然の要害のような土地。東西南北への移動の起点となる地政学的な位置から、ヒッタイト、ローマ、ビザンツ、ペルシャ、イスラム王朝など強国からの度重なる侵略や干渉を受けてきた。
20世紀に入ってもアルメニア大虐殺で150万人もが殺戮されたという。いまもトルコとの間でゴタゴタは続き、利害関係が絡むドイツやフランスも口を出す始末。アルメニア人はユダヤ人と並んでディアスポラ(diaspora)の民といわれる。エルサレムにもニューヨークやパリにもアルメニア系の住民はたくさん暮らしている。
ワインとブランデー
コーカサスは発酵食品文化の発祥地のひとつと言われる。アルメニアも隣のジョージアと並んで最古のワイン生産地の可能性があるらしい。
同じブドウから作るブランデーでも有名(アルメニア・コニャック)。ただ、これにはまた悲しい話があって、ソ連時代、ジョージア出身のスターリンがアルメニア人にワイン製造を禁じたらしい。仕方なくブランデーを作ったということになる。
民族と国名の興り
英語wikiの“Name of Armenia”によると、
The name Armenia enters English via Latin, from Ancient Greek Ἀρμενία. The Armenian endonym for the Armenian people and country is hayer and hayk’, respectively.
だそうで、現地の人は自分たちのことをハイエル(Hayer、単数形はHay、ハイ)、自国のことをハイク(hayk)と呼ぶそうだ。ハイクとは旧約聖書創世記に出てくる有名なノアの玄孫であり、アルメニアの始祖と呼ばれる伝説上の族長だ(ハイク・ナハペト)。
ハイクはノアの箱舟がたどり着いた地アララト山の麓に住み、一族をハイ(Hay)族、住む土地をHaykとペルシア語で国をあらわすスターンを合わせてハヤスタン(Hayastan)としていた[。(現在のアルメニアの正式名称である Hayastani Hanrapetutyun と引き継がれる事となる。)
ハイクのひ孫のひ孫、Armens族の族長アルメナケ(Armenak または Aram)が、一族を率い独立しアルメニア族としたのが、アルメニアという国名の由来である。最古のアルメニアの記述は紀元前521年のベヒストゥン碑文に残っている。
アルメニア神話によれば、ハイクは一族を率いてバビロンへ南進していたが、バビロンを支配する悪王ベルに行く手を阻まれる。対決は長引くが、最終的には弓の名手であるハイクが信じられないような遠距離からベルを射抜き殺害したという。これがアルメリア人の誇る建国神話だ。
教会、教会、教会・・・
グーグルマップに主な観光対象になりそうな教会や神殿をマークしたので、以下のリンクをクリックし、左に表示される青いリストに並んでいる写真を見てほしい。どんな田舎にも由緒正しそうな教会が存在し、古い歴史を感じさせる。それにしてもアララト山は、富士山のような独立峰で見目麗しい山。
特に有名かつ重要なのが先頭に表示される、エチミアジン大聖堂(Etchmiadzin Cathedral)だ。エレバンからバスで行ける距離にある世界遺産。
アルメニア正教会(Armenian Orthodox Church)またはアルメニア使徒教会(Armenian Apostolic Church)
アルメニア正教会は、ある意味、世界で最も古いキリスト教会である。東方諸教会、東方伝統教会のひとつとされるが、どこの何たらの教会が入っている入っていないで揉めるらしく、アルメニア正教会自身は仲間のコプト正教会、エチオピア正教会、シリア正教会とともに、そのような呼称を嫌い、より中性的な非カルケドン派教会(Non-Chalcedonian Orthodox Churches)を名乗っているらしい。
「は?」で目が点になる感じだが、せっかくなので勉強しておこう。この辺のキリスト教の深い区別を知っていると、英語圏でも一目置かれるかもしれない。トコシエを含め日本人は、キリスト教といえばローマ、ローマ→欧米の西側ラインを思い浮かべる。wikiを含め、周囲の情報も西側目線だ。気づかないうちに思い込み、あるいは偏見、無知に晒されている可能性がある。
枝分かれしていったこのアルメニア正教会や他の「東方諸教会」も重要な役割を果たしているのだ。特にイスラム教の誕生はこれらの教会の影響なしに考えられない。ちなみに「東方諸教会」は有名なギリシャ正教やロシア正教とは違う一派なので混同なきよう。
キリスト教の袂を分かったカルケドン公会議
キリスト教徒が東西へ分裂していく経緯は頭が痛くなるような複雑さなのだが、天下分け目となったのがイエスとヤハウェの関係に関する思想の違いから教義を統一するための、カルケドン公会議(AD451年、カケルドンは現在のイスタンブールの一地区)だった。ざっくり言うと、この会議後、キリスト教会は4つの流れに分裂していく。
- 両性説(Dyophysite)を支持する→イエスは神性を持つ(完全に神である)と同時に人性も持つ(完全に人間である)という考え方→現在主流派になっている。ローマカトリック教会、カルケドン派正教会(ギリシャ、ロシアなど)の立場。
- 合性説(Miaphysitism)を支持する→イエスの一つの位格の中で神性と人性は合一して一つの本性(フュシス)になり、二つの本性は分割されることなく、混ぜ合わされることなく、変化することなく合一するという考え方→非カルケドン派正教会(エジプトのコプト、アルメニア、シリア、エチオピア)の立場。
- 単性説(Monophysitism)を支持する→イエスはただ一つの位格を持つ。唯一の位格の中に互いに融合もせず、混合しない二つの本性(神性と人性)があるとする考え方。もともとはネストリウス派を否定するための説だったが、カルケドン公会議で否定される。エウテュケス主義(Eutychianism)と呼ばれる。
- ネストリウス派→イエスの神性は受肉によって人性に統合されたという考え方。両性説は認めるものの、キリストの位格は一つではなく、神格と人格との二つの位格に分離されるという考え方→AD431年のエフェソス公会議(現トルコ)で異端認定され排斥された。そのためペルシャ帝国へ移動し、7世紀頃には中央アジア・モンゴル・中国へと伝わった。中国では景教と呼ばれる。古代日本にも伝承されたという説がある。
異教徒の日本人からすると、何をそんなにこだわっているかわからない感じがするが、とにかく両性説は泣く子も黙るメジャーな説となっている。これはカルケドン信条として知られる。以下に引用しておこう。
われわれはみな、教父たちに従って、心を一つにして、次のように考え、宣言する。
われわれの主イエス・キリストは唯一・同一の子である。同じかたが神性において完全であり、この同じかたが人間性においても完全である。
同じかたが真の神であり、同時に理性的霊魂と肉体とからなる真の人間である。
同じかたが神性において父と同一本質のものであるとともに、人間性においてわれわれと同一本質のものである。「罪のほかはすべてにおいてわれわれと同じである」神性においては、この世の前に父から生まれたが、この同じかたが、人間性においては終わりの時代に、われわれのため、われわれの救いのために、神の母、処女マリアから生まれた。
彼は、唯一・同一のキリスト、主、ひとり子として、二つの本性において混ぜ合わされることなく、変化することなく、分割されることなく、引き離されることなく知られるかたである。
子の結合によって二つの本性の差異が取り去られるのではなく、むしろ各々の本性の特質は保持され、唯一の位格、唯一の自立存在に共存している。
彼は二つの位格に分けられたり、分割されたりはせず、唯一・同一のひとり子、神、ことば、イエス・キリストである。
このゴタゴタは単なる内輪もめではない。”宗教界の関が原” 現象とも言える世界史の急所なので、少し立ち入って勉強してみよう。
アルメニアが採用した非カルケドン派の主張
wikiの非カルケドン派正教会によると、理屈はこうだ。
(非カルケドン派正教会は)世界の主に中東に存在する。規模は小さいものではなく、中東など各地域において伝統的な教派の一つとなっている。アルメニア使徒教会は世界で初めて国教とされた教会である。
インドとエリトリアの教会を除き、カルケドン公会議でカルケドン派正教会およびカトリック教会から分かれた教会である。教義は合性論の立場に立ち、単性論を否定、両性論もネストリウス派寄りと見做し否認する。
カルケドン派正教会およびカトリック教会からは、ネストリウス派に起源を持つアッシリア東方教会と併せて「単性論教会」とされる。しかし、非カルケドン派教会は単性論をコンスタンディヌーポリのエウテュケスの主張に限定しており、「単性論教会」の名称は自称として用いられる事はない上に聊か蔑称としての傾向も含まれている。非カルケドン派は中立的な呼び名である。
要するに、ローマ系のカトリック教会やギリシャ系の正教会ら多数派は、非カルケドン派正教会を「単性論者」とレッテル貼りしているが、当人たちは否定し、自分らは「合性論者」だと切り返している構図だ。
三位一体論の定式化
カルケドン公会議の話だけだと喧嘩別れみたいな話になるが、キリスト教が巧みのは、カルケドン信条を支持するしないに関係なく支持できる教説構築の流れが存した点だ。有名な三位一体論(the doctrine of the Trinity)である。英語wikiには次のようにある。
The Christian doctrine of the Trinity (Latin: Trinitas, lit. ‘triad’, from trinus, “threefold”) holds that God is three consubstantial persons or hypostases—the Father, the Son (Jesus Christ), and the Holy Spirit—as “one God in three Divine Persons”. The three Persons are distinct, yet are one “substance, essence or nature” (homoousios). In this context, a “nature” is what one is, whereas a “person” is who one is. The opposing view is referred to as Nontrinitarianism.
三位一体論(Trinity)とは、神(God)は一つの実体(substance、ラテン語substantiaから派生)であり、その位格(ペルソナとも。英語でperson、ラテン語personaから派生。別名hypostasis)として父なる神(the Father)、子なる神(the Son)、聖霊(the Holy Spirit)の三つがあるとする考え方だ。
カルケドン派も非カルケドン派もほぼすべての教会がこれを支持することで、空中分解を防いだのである。1+1+1=1なんて等式は成り立つはずがないのだが、「実体がwhat one is、位格がwho one is」という理屈はよく考えられていると思う。本質は変わらないが、現れ方が変わるというのである。
教父たちの解釈がキリスト教を整備した
現代の聖書学でも認められているらしいのだが、イエス本人も、聖書の原本も、誰も三位一体説は唱えていない。完全に神学者の後知恵である。ここでも問題の人物はパウロで、彼が「イエスは神の子」と言いだして以来の悪戦苦闘の結果なのだ。
聖霊の概念はヒトに神性が降りてくるための器である。聖なる霊魂はイエスのことば(ロゴス)を通じて信徒の魂へ入りこんでくる。つまり神の本質は、あるときは神として、あるときはイエスとして顕現する。もしそこで止まってしまえば神との間につながりが存在しない。これでは人間は他の動植物と何ら変わりない被造物(creature)に留まり、人間は救われない。しかし信仰によって、神の本質を分け持てるのであれば話は別だ。
希フュシス=羅ナツゥーラ=英ナイチャー
ところで、いま本質としたのはギリシャ語のフュシス(physis)だ。これはラテン語に入ってnaturaとなり、英語のnatureの語源となる。日本語で両性、単性、合性の性はこのフュシスに由来している。
参考:フュシスについて
良くも悪しくもキリスト教はこういう概念上の操作(と言ったら叱られるか)や、神学上の面倒くさい論争(と言ったら怒られるか)の上に発達してきた宗教なのである。アルメニア使徒教会が属する非カルケドン派やイスラム教徒の関わりについては別の機会に紹介しよう。
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